「ふるさとの庄内・鶴岡を元気にしたい」と2000年にアル・ケッチァ―ノと言う店をOPENし、料理人である私は「食」が軸となり「食」によって地方をどう元気にしていけるか、どうしたら幸福感を味わえるようになるかを考え活動してまいりました。そして今、「日本を元気にしたい!」と言う気持ちが昨年の3.11以降、特に強い想いとなって私を突き動かしております。こんな今だからこそ料理人が、料理人の私だからこそ「食からはじまる地域づくり、そしてこれからの日本の元気づくり」をやらなければと改めて強い志を抱かせてもらっています。このセミナーでは、「地方が幸福になるためのヒント」や「食べ物がこれからの日本を元気にする」を私の経験を交えながらお話しいただきます。
講師紹介
1969年 山形県鶴岡市生まれ。地元高校を卒業後に上京しイタリア料理、フランス料理、純フランス菓子、イタリアンジェラートを修行。帰郷後に2つの店で料理長を歴任。
2000年 在来野菜など旬の地元産こだわり食材を使った現在の店(アル・ケッチァーノ)を独立開業。地元食材にこだわり生産者の顔の見えるメニューを提供中。
2003年 店舗の営業の傍ら、酒田調理師専門学校に於いて食材論の講師を3年間つとめる。
2004年 山形県庄内支庁より庄内の食材を全国に広める「食の都庄内」親善大使に任命(継続中)。
2005年 イタリア マルケ州アルチェヴィアより表彰される。
2006年 イタリアのスローフード協会国際本部主催の「テッラ・マードレ2006」で、世界の料理人1000人に選出される(日本からは11人)。
2007年 ドルチェの店 イル・ケッチァーノをオープン。
2008年 庄内浜文化伝道師マイスターに認定。
2009年4月 銀座に山形県の食材をメインにしたイタリア料理店「YAMAGATA San-Dan-Delo(ヤマガタ サンダンデロ)」をオープン。
2009年11月 スペイン・サンセバスチャン世界料理大会に於いて日本の食材を紹介料理を作る。
2009年 鶴岡市農業発展奨励賞を受賞。
2010年1月 FOOD ACTION NIPPONアワード2009にて「コミュ二ケーション・啓発部門」優秀賞を受賞。
2010年4月 第1回「辻 静雄食文化賞」を受賞。
2010年10月 「テッラ・マードレ2010」イタリアスローフード協会国際本部主催 ファイナルディナーを担当する。
2010年11月 農林水産省より<第一回(料理マスターズ ブロンズ賞)>を受賞する。 (受賞者全国より7名)
≪海外での活動≫
2004年 イタリア アルチェヴィア
2005年 ハンガリー ヴィシェグラード
2006年 アメリカ ポートランド
2007年 イタリア カネッリにてフェアーを開催
2009年 スペイン サンセバスチャン フードガストロノミカ
2010 年 イタリア テッラ・マードレ2010ファイナルディナー担当
2011 年 スペイン サンセバスチャン美食祭り世界大会
≪書籍≫
*奇跡のテーブル
*田舎町のリストランテ頑張る(マガジンハウス社)
*庄内パラディーゾ(文芸春秋)
*視線の先に(プレスアート)
*人と人をつなぐ料理(新潮社)
*奥田政行の食材スーパーハンドブック(小学館)
*塩を楽しむ奥田政行のちゃちゃっとイタリアン(小学館)
日本国内のみならず、世界を舞台に山形県庄内の食材を広めるべく、多忙の日々を送っている。
■開催概要
日時/2012年3月1日(木) 19:00~21:00
参加者/78名
■セミナーの様子
当日、会場には定員を超えて多くの方々にお越しいただきました。神戸には3回程来た事があり、兵庫でも地域おこしを手伝っておられるという奥田氏は、コックコートを装いご登場いただきました。
アルケッチャーノは山形県の海側に面した12万人都市、鶴岡にあります。実は「アルケッチャーノ」という言葉はイタリア語では無く、鶴岡の人が地元の物を食べた時に、そういえば鶴岡にこんな食材があったねえ、というのを「あるけっちゃのう」と言い、それをそのまま「アルケッチャーノ」という名前にしたそうです。ところが庄内弁はイントネーションで言葉の意味合いが変わる東北特有の方言で、「自分の足で歩きなさい」という意味合いなどに変化するそうです。東北というのは相手の表情を見ながら言葉の意味合いを図っていると奥田氏は語ります。
「地場産」で食材を取りそろえようとすると、「地元の物が揃うはずが無いだろう」、「地元のものがそんなに美味しいのか」、「本当に安心・安全なのか」という様々な壁があったそうです。奥田氏は自身で畑を借りて野菜を栽培されたり、野菜について勉強しながら生産者へ分からないことを訊きに行ったりしながら関係をつくり、大学の先生らと庄内を探しまわり戦前から庄内に根付いた多種の在来野菜の存在に気が付いたりと、多くの苦労を通して食材がお店に集まってくるようになったそうです。また、普通の野菜と庄内野菜では同じ調理法を用いても美味しくならないので、これまで基本のレシピなどを頼りに地元のエッセンスを加えた応用的な料理だったのが、研究と多くの試行錯誤の結果、大元の素材の特性から考えていくようになり、料理の出発点が変わった、と奥田氏は振り返りました。
そうした様々な課題を克服し料理を作るうちに、庄内の食材の素晴らしさを確信したそうです。奥田氏はそれを伝える為に「食の都庄内」としてメディアで発信していくことに取り組まれました。山形の食材や生産者を紹介したり、料理関係以外の様々な人と繋がったりしていきました。また、地域を巡ることで庄内での適地適作が分かるようになり、そのマップを企業と製作したところ、生産地を巡るツアー客の方々が東京からやってきたそうです。ツアー後に巡った生産地の食材を使用してのフルコースをお店で提供しました。生産者と行政の人も交え、食材に関する質問が出れば生産者がその場で答え、生産者と行政が繋がり、ツアー客の方も美味しいものが食べられる、皆が喜ぶ関係が生まれたそうです。また、料理人と生産者の関係に知識者を加える事で知識や研究の交換、料理を提供、農作への学生ボランティア、知識者の裏付けによって話の説得力が増すなど、お金の発生しないWin-Winの関係が出来上がったとお話しいただきました。
奥田氏には食からはじまる庄内の幸福論がだんだん見えてきて、庄内の食材を美味しく家庭で調理する方法を提供したり、「イル・ケッチャーノ」という施設で大学の先生が研究を発表し、生産者、それを加工する人、料理人などがあつまり、話をしているうちに食材を守るために皆が団結して行政の方へ呼び掛けたりといった活動に繋がっていったそうです。
そうして「食の都庄内」の構想がほぼ実現して次の世代へバトンを渡そうと考えていたところで、東日本大震災が起こってしまったそうです。今までの価値観では食の部分も上手くいきません。料理人の自分が危機的な日本の為にできる事は何だろうと考え、自身が庄内をよくする為にやってきたことを振り返ったそうです。生産者や料理人仲間たちと団結し、行政に働きかけ、発信していく。その時の事を日本全体にスケールアップしてやれば、日本の食材に対する悪いイメージを払しょくできるのでは、と考えたそうです。まずは命を救う、ということで様々な被災地へ炊き出しやチャリティに赴き、それを通して様々な人々と繋がっていきました。被災地の食材を復活させるために生産者と一緒に様々な働きかけも行われたそうです。
「次にやらなくてはいけない事は、日本の食材を世界に認めてもらう事です。今回の原発事故で日本の食材離れが進んでいます。日本の正確な現状を伝えて、日本の食材を使ってもらいます。それが一番早く日本の農業、漁業、畜産業を元気にすることだと思います」と奥田氏は日本を元気にするための展望を述べられました。日本の各地やスペインで開催された食のイベントで日本の食材を正しく広める活動をして、大きく取り上げてもらったそうです。壊滅的な現状だと考えていたそうですが、小さな光が見えてきたと奥田氏は語ります。その小さな光をどのように広げていくかを今は考えているそうです。皆さんと一緒に新しい価値観をつくっていきたいと、会場の参加者にも呼びかけられていました。
質疑応答では、会場から様々な質問が投げかけられました。セミナーには食に携わる職業の方々も多く参加されていて、料理を志す来場者と奥田氏の間で熱心なやりとりや、時には描いた図を交えながら分かりやすく詳細に説明していただきました。
今後もこのような+DESIGNセミナー開催の機会を設けたいと考えております。セミナーの開催が決まりましたらKIITOのWEB上にて告知いたしますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。