デザイン都市のデザイナー Vol.15自然地形活かし時代に先駆けた神戸港のデザイン
今年、開港150年を迎える神戸港は古くから港に適した地形で発展してきた。一時期はコンテナ総取扱トン数で世界一を誇るハブ港に成長したが、そこにはどんな理由があったのか。また、これからの時代の港について、神戸港に最も詳しい人物を訪ねて伺う。
神戸港振興協会の森田さんと山阪氏。被災当時の岸壁が残る「神戸港震災メモリアルパーク」にて。
神戸港は「天然の良港」と呼ばれていますが、どういった理由からなのでしょうか?
まずは立地です。潮流の速い明石海峡の影響を受けにくい和田岬に守られた場所にあったことが挙げられます。六甲山という千メートル級の山が西風や北風を防いでくれることも、港の発展には好条件でした。江戸時代までの海上交通は、風と潮に依るところが大きかったものですから、波の穏やかな海岸は船着き場に相応しい場所だったのだと思います。また、潮の干満の差が年間を通じて1m内外と小さく、荷の積み降ろしに便利であったことも重要な要素です。海底が粘土質で錨を下ろしやすかったこと。さらには、水深が深く大きな船が安心して入出港できたことなど、古くから「天然の良港」の条件が揃っていたのです。1868年に開港した後も、当時港に注いでいた生田川や湊川を現在の場所に付け替えたことで、川からの土砂の流入がなくなり、深い港を維持することにつながっています。
イラステッド・ロンドンニュースに掲載された神戸港開港時のスケッチ
世界一にもなった神戸港はどのようにデザインされてきたのですか?
1871年に神戸港の初代港長になったジョン・マーシャルは、初めて海岸の長さや港の深さ、気象データなどを計測し、実測に基づき神戸港をデザインしました。また明治政府が運上所(税関)を再開するなど、港の役割も整備しました。神戸港に初めて灯台ができたのも、実はこの頃です。その後も、神戸港は常に時代を先取りし、計画・開発されてきました。鉄道貨物の増加に合わせ、いち早く全突堤に鉄道の引込み線を敷設。1967年に日本で初めてのコンテナ船が神戸港に来航したのですが、それ以前から「日本でもいずれコンテナが主流になる」と考え、コンテナ船の増加に対応するため、ポートアイランドの埋め立てに着手していました。その後、六甲アイランドも着工。1973年にはコンテナの総取扱トン数が世界一に。岸壁に巨大なガントリークレーンが立ち並ぶ姿は、神戸港の代表的な風景になりました。
阪神淡路大震災、復興を経て、今後神戸港はどんな港になっていくのでしょうか?
クレーンが全壊するなど震災で大きな被害を受けた神戸港ですが、20年以上かけコンテナ取扱個数は、ほぼ震災前に戻りつ
つあります。今後は、コンテナターミナル機能を超えたロジスティクスターミナルを形成し、荷物の積みおろしだけでない、流通・加工・製造機能が高度に集積する新時代の物流に対応する港を目指していきます。
ポートアイランドを中心に兵庫側から撮影された神戸港
物流の拠点として、つねに時代を先取りし、港のあり方をデザインしてきた神戸港。開港150年を機に、再び輝きはじめた神戸港。港の賑わいは、神戸のまち全体の賑わいにつながることでしょう。(山阪) |
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