デザイン都市のデザイナー Vol.11異国情緒息づく賑やかな観光地南京町商店街

今回は、春節祭の準備に沸く南京町を訪ねた。横浜、長崎と並び「日本三大チャイナタウン」の一つに数えられる南京町。老祥記の豚まんなど行列の絶えない人気店が多く存在する観光名所だが、その誕生の歴史とは。振興組合理事長の曹さんに聞く。

南京町商店街振興組合 理事長の曹 英生(そう えいせい)さんと山阪氏、南京町広場にて。

南京町が誕生したきっかけや成り立ちについて教えていただけますか?

神戸開港の年1868年を1つの起点として自然発生的にできました。開港以降、神戸港には多くの外国人が訪れるようになり、その中で日本人と西洋人の交渉を助けるため中国・上海辺りの方がたくさん来られたんです。「南京町」の由来も日本人が中国の人を「南京さん」と呼んでいたことから。当時の南京さんは、ちょっとオシャレな雰囲気で尊敬されるような存在でした。戦後になると空襲で焼け野原になり、その後は外国人バーが乱立する、神戸の中ではちょっと危険な印象のあるエリアになってしまいました。昭和50年代になりちょうどNHKの朝ドラ「風見鶏」が大ヒットし、神戸が観光地として脚光を浴びる中「昔の南京町の活気を取り戻し、安心安全な町を作っていこう」と区画整理が行われたのが今の南京町の始まりです。

1987年から行われている春節祭ですが、どのようにして始まったのですか?

南楼門・あづまや・長安門と続々とハード面が整備され、「今度はソフト面で町を良くしたい」と青年部を中心に企画したのが「春節祭」でした。とは言え、メンバー全員イベントの経験がまったくなかったため最初は企画書の作り方もわからず。目玉企画として「日本一長い龍で踊ろう」と、中国に龍をオーダーしたのですが祭が近づいても龍が届かないというトラブルもありました。舞の練習にも道具が要るためホウキに紐を通して仮想龍を作り代用しましたが、周りから見たら異様な光景で(笑)。でも、たまたまそれを見たテレビ局が「これはおもしろい!」とドキュメンタリー番組で紹介してくれました。そんな注目もあって1回目の春節祭は4日間で27万人を集め大成功。この行事を始めてからは多くの方に来ていただけるようになりました。

今後デザイン面で南京町をどのようにしていきたいか、展望はありますか?

夜間景観に力を入れていきたいと思っています。長安門の光の色をイベントごとに変更したり、ライトアップのガイドラインを共有して夜も華やかで賑やかな南京町にしていきたい。神戸らしいオシャレな色「フォーチュンレッド」をひとつのテーマに南京町だけではなく神戸全体に街の賑わいを作っていきたいと考えています。

 

神戸を代表する観光スポット・南京町。
そのブランディングのために、この町の人たちがしてきた様々な取り組みは、まさに日本の中に異文化をどうデザインするかという取り組みだったのではないでしょうか。(山阪)


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